プロフィール

皆さんこんにちは!
ウェブライターのハルノ(@haruno_sudo)です。

留学先の大学にいたカンガルーとともに失礼いたします。

(何かもうちょっとまともな写真なかったのか、と思った方へ。私もそう思います。)

(写真を撮る人あるあるだと思いますが、自分主体のいい写真が見つかりません。)

(誰か一緒に写真撮りに行きませんか?)

私のことを知っている人にも、知らない人にも、もっと私のことを知って欲しいと思い、詳しいプロフィールを書こうと思います。

目次を活用して読んでくださいね~~~!(長いです)

<スポンサーリンク>


サクッと知れるハルノ概要

ハルノ(23)/愛知県出身/フリーランスウェブライター

語学系の大学を卒業し、在学中に交換留学で訪れたオーストラリアのワーホリに行きました。行く前に旅行会社に内定は決まっていましたが、思うところがいろいろあり辞退するに至ります。

合わせて読みたい

それまで一般的な、義務教育→高校→大学→就活→内定という流れを自らぶち壊しました。

バイバイ私のレールに乗った人生!!!!!

(当時はいろいろな方にご迷惑をおかけしました…。私のわがままにつきあわせてしまい申し訳ありません。)

海外を転々としながら生活し、最終的に自分が心地よいと感じる場所に住むのが目標です。

今のところ第一候補はオーストラリア。場所を模索するとともに人生修行中です。

旅がすきです。(バックパッカー)

▽海外渡航経験

台湾/中国/香港/マカオ/フィリピン/バリ/シンガポール/ラオス/ハワイ/イタリア

タイ:ボランティア(英語教師補助)

オーストラリア:留学、ワーホリ

(12/7よりアイルランドワーホリ)

特に温暖な場所を好みます。そのためアイルランドでの生活には不安しかありません。

英語がすきです。(活動の原点)

大学時代に最も力を入れたことが英語だと思います。(あとは飲み会)
現在は、外国人向けの日本の情報サイトで英語での執筆もしています。

ただただ、英語を話すのがすきです。旅を通し、出会った人と英語を話すことでもっと英語のことが好きになりました。

合わせて読みたい

英語を話すと見える世界が変わる、ということを広めたいです。

多様性を感じることがすきです。(インタビューします)

人との違いを認め合ったり、多様性を感じることができることに非常に価値を見出します。人とは違う生き方をする人をインタビューして記事にしています。

合わせて読みたい

多様性を認め合うことができる社会作りに貢献したいです。

学生時代に、女性差別や人種差別、難民のことについて学んだのでタイミングを見て、これらの分野での活動をしたいと考えています。

ちなみに尊敬する方はスプツニ子!さん。今年から東大のデザインラボの准教授をされています。それまではMITにて准教授。

スプツニ子!さんは、美人な容姿からは想像もできない、ぶっ飛んだ発想を現実へとしていくアーティスト。

(代表作に「生理マシーン」という男性が生理を体験できるマシーンがあります。開発してプロモーションビデオまで制作しています。youtubeで見れますよ。)

男女の違いなどの社会問題に、アートとテクノロジーの観点からガンガン切り込んでいくパワーあふれる方です。

大学のゼミのプレゼンの時に、スプツニ子!さんのことについて熱く語り、周りに引かれた思い出があります。

(ちなみに)おとなしい人とよく言われますが。真逆です。

初対面の人によく『大人しそう』とか『落ち着いている』とか言われます。

『おしとやかで上品な人』って言われたこともあります。
(もう二度と言われることはないでしょう。)

でも実は負けず嫌いの頑固者の天邪鬼

どちらかと言うと雑草精神タイプで、すぐにアツくなるし夢追いかけたい人です。
(急に熱量が上がって語りだしたりします。)

思い付いたら即行動で、わりと猪突猛進。しかし、計画性に欠け、マイペースなのでよく失敗します。『全力』とか『本気』とかの方が性にあっていて怠惰な自分には嫌気が差すこともしばしば。そしてよく、フィーリングや感情論で動きます。

あとお笑いとかミュージカルがすきなので、

ボケたり、

突っ込んだり、

ダンスしたりしてます。(ただ体をピロピロ動かしています)

でもシャイで内気だから、初対面の人には内側を晒すことができなく笑顔を振りまくだけのときも。

だから、私とどこかでお会いしたことがあって、このプロフィールを読むと「なんか違う!」ってなることもあるかも知れません。

<スポンサーリンク>


なりたいもので溢れていた保育園&小学校時代

夢多き私は、人が一生に持つ5倍は多く夢みてきたと思うのです。

保育園のとき私がなりたかったものは移動パン屋さん。
大きなバンでいろんなお家を回って大好きなパンを売る、その旅人スタイルが好きでした。
(バンでパン)

その次になりたかったものは保育士
ちょうど妹が生まれるその時期にお姉ちゃんとしての意識が芽生え、小さい子をサポートしたいという気持ちがありました。

次になりたかったのは天才てれびくんの出演者。同世代の子どもが活躍する番組にわたしも出演したい!このころからテレビ(報道機関&エンターテインメント)への憧れがありました。

いろんなことに興味を持っていたのは保育園のこのころからだったみたいです。

内気な性格のために外の世界ではみせることのない私のエネルギーを何かに向かわせようと母は私を連れてバレエレッスンを見学に行きました。

ひらひらのパニエが嫌だった私は、隣の部屋で行われていた柔道教室に駆けていったそう。(結局ヒップホップを習うことで合意した私たち。謎です。)

小学校時代になりたかったのは、盲導犬の訓練士。イルカの調教師。世界ふしぎ発見のレポーター。テレビ番組のディレクター

小学校4年生からは、バレーボールにはまりバレーボール選手になりたいと本気で願います。(もうめちゃくちゃ…。)

でも共通していたことは

・人の役に立ちたい

・新しい世界を見たい

・人にワクワクを与えたい

この考えをもとにして育った私は、学級委員をやったり放送委員会でラジオDJみたいなのやっていたり、運動会の応援団長をしたり(優勝した)…。

シャイで恥ずかしがり屋のくせに、頭に浮かんだやりたかったことは全部やっていました。

できることは全部やる。全力注いだ中学校時代

小学校から始めたバレーボール
いつしかガチになっていた私は、中学にあがったあとも全力でした。

毎日筋トレや自主練したり、部活後は体力付けるために長距離走の練習。
長距離は負けず嫌いな私に向いていたらしく、気づいたら校内の女子の3本の指に入るまでに。

中学校のこの時期に、頑張るということを学んだと思います。長距離や部活を通してだけでなく、勉強も頑張っていたこの頃は、とにかく「がむしゃらになってやる」ということを体現していました。このころは本当に努力の鬼でした。

↓この方には負けますが(笑)

合わせて読みたい

このときの体力とかやる気とか責任感といったものはすさまじかったです。学級委員をやったり、ほぼ部長のような副部長を務めたり。

勉強も手を抜くことはなく、塾に通い、テストではいい点を取るためにひたすら机に向かっていました。ノートが何冊も積み重なっていくのをみては充足感を感じていたことを覚えています。

肝心のバレーは目標だった県大会には出場できたけど、結果は残せず一回戦敗退。

それと同時に、バレーボール選手という夢もなんだか現実味がなくなり、部活のごたごたとかも疲れちゃったし、大好きだったバレーボールはここで辞めてしまいました。

(ここで一瞬バレー選手の体調やトレーニングを管理する人たちに憧れる。)

<スポンサーリンク>


やりたいことが見つからない高校時代

あんなに好きだったバレーボールを辞めたら急に生きる目標が無くなった私は、高校1年生にして人生に対する絶望を見ます。

なんだかわかんなかったけどとりあえず全てに対してやる気がなかった。あと、全力でやるというのがカッコ悪いんじゃないかって周りを気にしていました。

勉強ももうそんなにしたくないし、高校数学はとにかく苦痛だった。皆と一緒にチャラチャラしてたかったけど、進学校だった高校では、入学してすぐに「大学受験の準備が~」とか言われて、

頑張るのとか疲れたとか思っていた(かっこつけてた)記憶があります。

もうバレーボールをする気にもならず、高校はダンス部かバドミントン部に入りたいと願っていたものの。両部とも私の高校にはなく、楽しそうにハンドをしている先輩を見て、ハンド部に入部しました。

今思えば、部活にこだわらなくても外部で活動すればよかったのですが、そこまでのエネルギーはなかったようです。

肝心のハンド部は、1年生の部員数は徐々に辞めていき最終的に4人に。さぼりまくってたし、練習にもついていく気が無かった私たちは、残った自分たちも辞めたいと部の先生に交渉。

結局引き留められて、しぶしぶ部に残りましたが、それでよかったと今は思います。良い後輩にも巡り合えたし、部活での思い出や友達はいまも私にとって大切なものとなっています。

こんな感じで、高校の1年目からだらだら過ごしていたので、なんだか自分にも絶望していました。これまで頑張ってきた自分とのギャップについていけず、人生を放棄したくなったり。

この当時の口癖は、「早く結婚して人生安定させたい」(当時16歳くらい)

早く結婚して将来を確定させたかった。結婚が安定だと思っていた。

結婚or Die(って思ってた)

『自分ひとりのための人生を一生懸命生きる』ということをいったん忘れてしまいます。(結婚が人生のおわりというわけではありません…。)

そんな私を救ったのは、実はお笑いでした。この時期はひたすらお笑い芸人にハマっていましたこともあり、いろんなお笑い番組を録画してチェックしていました。芸人さんの下積み時代の話を調べていくうちに、

人を笑わすのって簡単なようで難しいということを学びます。

当時特に好きだったのは、圧倒的なスピード感のある漫才で、一世を風靡した(?)NONSTYLEさん。完コピができるくらい漫才見てました。

井上さんのキモキャラ&ポジティブキャラがフィーチャーされがちな二人ですが、実はNONSTYLEといえば、石田さんです。あの方の影の努力無しに今のNONSTYLEはありえません。

(なぜか、NONSTYLEファンには井上アンチが多い気がします。)

でも井上さんのポジティブさは見習いたいですよね。

お笑い芸人さんの力を借り、そこからなんとか立ち直ります。そして自分も人を笑わせることができる人になりたいなァとやんわり思います。

(間にお笑い芸人になることを夢見ます。)

しかし、チャラつきたかった私は、楽しいJK生活を過ごすためにダイエットに勤しむことになりました。

高校の時に私が気にしていたのは
『すらりと伸びる綺麗な脚』『ぱちりとした大きい目』『脂肪のないカラダ』

素敵な友達ができて、キラキラした高校生活を過ごし毎日楽しかったけど、身になることはあまりありませんでした。

転機の兆候?大学時代

高校のやる気ないそんな流れで始まった大学受験はうまくいくはずもなく、私の勢いが良かったのは夏休みに入る前まで。

とにかくディズニーが好きだった私は東京付近に住める大学を目指しましたが結果は惨敗。

見事に受かったのは私の母校となる外国語大学。
(ここしか受からなかった・・・。)

こんな感じで始まった大学生活でしたが、『外国語大学なんだし留学しなきゃ』っていう周りの考えと、アメリカのディズニーで働くことができる留学プログラムの魅力に押され、私は英語の猛勉強を始めます。

負けず嫌いの私は、英語科がある高校から来た英語ペラペラ軍団に絶対に負けたくなかった。(意地)

朝から夜までTOEFLという英語の試験に向けて猛勉強。受験勉強で机に向かった勉強には慣れていたので、ここでも踏ん張ることができました。

ディズニー留学プログラムの最終面接まで何とかこぎつけますが、先にも言った通り、私の身につけた英語なんてお飾り資格英語。

机で学ぶしかなかった私の英語は、圧倒的に欠けている会話力のため見事に落ちます。

ここで私は悟りました。
「英語力が足りない。もっと話せるようになりたい。」

そこで方向転換した私に見えてきたのは交換留学プログラム。

交換留学プログラムだったら英語により焦点を当てた勉強をできるはず。
そう思った私は交換留学を勝ち取るために向けて再び勉強を始めます。

結果として交換留学生に選ばれた私は、初めての海外生活&一人暮らしにしてオーストラリアに向かうのでした。

そこで見たオーストラリアという世界は今までの日本の生活とは全然違いました。

大好きな英語に囲まれた生活。

いろんな国から来た人たち。

アツく熱弁する教授たち。

イージーゴーイングな生活と性格。

そんな環境を持つオーストラリアになんとか残りたいと思い、休学してワーホリで戻ろうか…とか、オーストラリアの大学に再入学するか…など考えますが結局辞めます。

合わせて読みたい

これまで失敗を重ねた私は「頑張っても無駄無駄」と、穏やかな日々を手に入れるために日本での就活を選びました。

人からはみ出るのも嫌だったし、日本が恋しかったのも事実だし。周りと合わせるように就職するのが良いんだって思いました。

<スポンサーリンク>


なんか腑に落ちない就活

何かに絞らないと、そしてアピールできる点を見出さないとうまくいかない気がした就活の中、私の選んだ道は日本の旅行会社への就職。

オーストラリアで観光学をかじった私は、観光学こそが私のやりたいことだと思いこみをします。

合わせて読みたい

自分の一番行きたいと思った会社に選んでいただいた私は、私のやりたいことはこの会社にあると思っていましたが、それと同時に納得いかない就活のやり方社会の在り方に常に疑問を感じていました。

個性を強調するのに、なぜ黒色で固めたスタイルで就活するんだろう?

学歴フィルターって本当に存在するんだ…。

女性が働きやすい環境って本当にあるの?

っていうか死ぬほど残業して得られるものって何だろう?

結局名前が知られている会社に選ばれるのが良いの?

もっと違う分野を勉強して、海外にももっと行きたいな…。

いろんなモヤモヤを抱えていましたが、人生ってきっとそういうものなのだと思って自分を納得させていました。

10月入社を選択した私は、6ヶ月の間、日本社会から離れることができる時間を有しました。ここでもう一度入社前にオーストラリアに向かいます。

より実践力のある英語力を。

より視野の広い考えを。

就職前の最後の楽しみを。

そう思い日本を発った私ですが、オーストラリア到着後の最初に居た街(カナナラ)でいろんなタイプの人に出会いいろんな生き方や楽しみがあることを知ります。

再び訪れたオーストラリアで爆発した私の本音

私が最初についた場所は、オーストラリアの果てのような場所である「カナナラ」でした。日本人はあまりいないのでは?との予想とは裏腹に、たくさんの日本人。

でもそんなよくわからない場所に来るような人って、よくわからないような人も多くて、変人ばかり集まっていた気がします。(きっと私を含め)

そんな変人たちとか、これまで出会ったことのないようなタイプの人間にも多く出会い、世の中にはいろんな人生観があることを知ります。

また、ファームで働いていた私は、人が自然に触れることの重要さを身に染みて感じました。土に触れることで、自然への感謝とか、人間のエゴとかが、知識としてではなく経験として腑に落ちた感覚がありました。

そして、こんな雄大な自然に囲まれて、
人口が多すぎる地に密集するわけでもなく、
多様性を認めるオーストラリアという地だからこそ、
オーストラリア人が、自由に楽しく生きることができるのだなということを再認識しました。

人が変わるには、環境をまず変えることが必要なんだと深く感じます。

このような考え方に触れることで、今まで目を背けてきた疑問や自分の本当にやりたかったことにオーストラリアでまた火がついてしまったのです。

大嫌いな満員電車に揺られ、残業ばかりの日々のどこに、私は楽しさを見出すのか。

せっかく身につきかけていた、大好きな英語を忘れてまで、日本で生活したいのか。

人と同じことをやんわりと強要するような社会に戻って、私はやっていけるのか。

(ていうかオーストラリアでもっと住みたい。)

(こんな幸せな環境で働いて生活できたら幸せ。)

(え?いまわたし幸せって言った?)

(というかもっと見たい国がある。行きたいところに行くためにはどうしたらいい?)

そんな感じで、

もっと自由に生きたーーーーーーーーいが爆発します。

ごめんなさい就活でお世話になった方々。
でももう無理なんです。私日本じゃ窮屈で窮屈で。

我慢していた感情が一気に押し出され、人生ってもっと楽しくていいじゃないか!と吹っ切れます。好きな場所で生きていいじゃないか!と声高らかに叫びます。

社会の波にもまれるより新しい国の荒波にもまれたい。

日本で過ごす「とりあえず」の三年より海外でアルバイトする三年で学びを得たい。

合わせて読みたい

そんなこんなで内定を辞退し、がむしゃらに私の負けず嫌いを発揮する日々が始まりました。

ライター業との出会い(ちょっと駆け足)

とりあえず就職する道を辞めた私にできた目標は、

・ワーホリで他の国にも住んでみたい

・ボランティアや人の役に立つための時間をとりたい

・人生楽しく行きたい

・もっといろんな国に訪れていろんな人に会いたい

・英語をもっと上達させたい

どこにいても稼げる仕組みを自分の生活に取り入れるために、調べだしました。海外在住ブロガーの記事を、このタイミングで読むようになり、

ドイツのフリーライター雨宮さん(@amamiya9901)

NZのプログラマーはっしーさん(@hassy_nz)

スウェーデンのフリーランサーたっぺいさん(@tppay)

のブログなどを読み、自分の生きる道を模索していたところ、クラウドソーシングサービスやフリーランスという仕組みがあることを知ります。

クラウドソーシングサービスというものを使用すると、

海外からでも仕事が受注できる

初心者からでもライターなら始められる

(らしい…!)そしてそのまま、日本の大きなクラウドソーシングサービスの一つ、クラウドワークスに登録したのが2016年の9月。

最初に受注したのは、旅系のキュレーションサイトでしたが、wordpressに入稿するというのが、当時の私には難易度が高すぎて1か月も続かず断念。

年が明けて、2017年の5月までライターの仕事はほっといていました。

2017年の4月末に日本に帰国して、それから一度東南アジアに出てみようと思った私は、ずっと行きたかったタイに5月から、2か月間行くことを決意。

その時点で、貯金を切り崩しながらの生活が確定していたので、ちょっとでもマイナスになるのを防ごうと思い、もう一度クラウドワークスでのライターとしての活動を再開しました。

7月の末にタイから帰国後、次のワーホリの渡航先はアイルランドに決定。なかなか日程が決まらなかったのは、その申請作業に時間がかかるという事実があります。

合わせて読みたい

2017年8月末。

このまま、アイルランド渡航まで日本でバイトをしようか悩んでいたところに流れてきた、一件のツイート。

ライターの吉見夏実さん(@NatsumiToshi)の本の出版に関するツイートでした。

本に関する記事を読んだり、関連記事を読んだりしているとわかってきたのは、

どうやらやり方次第で稼げるらしい」(ゲス顔)

なにも身にならない、時間を切り売りするバイトをするよりいいんじゃないかな、と思いちょいと本気出してライターやろうと気持ちを切り替えました。

そしてそれと同時にブログを開設。グローカルディレクターのたすくさん(@teeask )の助けを借り、「ハルノのもう我慢できない!」がスタートします。(ブログタイトルの名付け親)

合わせて読みたい

いまは転職系サイトや、生活情報サイトで執筆しています。

ライターとして情報を発信していたことで、アイルランド大使館にメディア関連の人として御呼ばれされたこともありました。

合わせて読みたい

取材ライターとして生計をたてれたら嬉しいので、ブログで取材を始めます。その記事が功を奏したのか、お仕事につながったりしています。(現在執筆中)

現在、このライターという仕事にハマっています。


今後も取材を通し、学びながら、各地を飛び回りながら、執筆できるようになりたいと考えています。アイルランドでもライターとして活動できるように頑張ります。

感謝と今後のこと

最後まで読んでくださりありがとうございます。

こんな私ですが、自分の生きる道を模索しながら一生懸命生きています。

わがままを聞いてくれた親や家族に感謝。当初は、かなりバトっています。

合わせて読みたい

日々勇気をくださる人々、助けをくださる人々に感謝。
こんな私と遊んでくれる友人に感謝。

これからはやりたいことに一歩を踏み出せない、そんな人の一歩になれたらいいなと思います。

ライターとして人々に情報を発信しながら、海外移住という自分の夢を叶えるために邁進します。そしてやりたいことは全部やりたい。死ぬまでにバケットリストのチェックを全部つけたい。

応援よろしくお願い致します!

<スポンサーリンク>



お問い合わせはこちらからどうぞ