普通になんてなりたくなかった。いつも「私」という個性を探しては迷って、凡人にはなりたくないと個性的であることを振る舞った。
でも、普通を抜け出そうとすればするほど、自分が普通であることが浮き彫りになってきて、嫌気がさしてまた新しい何かを探そうともがく。皮肉だが、自分の個性を必死に探しているときが、「自分には個性がないと気づくとき」だと思う。
好きなものをはっきりと言える人が羨ましかった。
「私ちょっと変わっているの。」と言った子がいた。見た目は可愛い普通の女の子で、好物はモノクロ映画とタイ。彼女に出会ったのは、まだ私達が大学生のときで「タイが好きすぎて、タイ料理屋でバイトしている」って言ってた。
「普通の女の子」が韓国コスメや三代目 J Soul Brothersが好きという中で、確かに「黒澤明が好き」というその子はちょっと変わっているのかもしれない。でも、正直私にとっては、その子は変わっているようには思えなかった。思えなかったというより、認めたくなかっただけだな。
その子がキラキラしながら自分の好きなものを話しているのを聞いていながら、心で「こういうキャラを作っているんだな。こうやって振る舞う自分のことが好きなんだな、きっと。」って少し僻んだ。羨ましかったんだと思う。
私には、「これ」という好きなものがない。
映画は好きだ。MARVELはあまり観ないけど、LALALANDも、万引き家族も、CAROLも好きだ。本も読む。最近好きな小説家は綿矢りさ。小説は学生の頃からちょくちょく読んでいて、ハルキストではないけど、村上春樹も何冊か読んだ。音楽もそれなりに聴く。サカナクションとTom MischとThe Beatles。
学生時代はバレーボールをやっていて、今は気が向いたらヨガをしている。写真を撮るのも好きだから、散歩したり旅行しながら、「おっ」て思ったものを撮影をする。食べるのも好き。あまり料理は得意ではないけど、外食したり、コーヒーやお酒を飲んだりするのは好きだから、旅行して色んな国の食事をトライする。
好きなものはたくさんある。
でも、私には「これ」というものがない。
楽器を弾けたら素敵だな、と思うけどピアノはすぐに挫折した。ギターは、中学の頃「カントリーロード」を授業で弾いたけどそれっきり。
写真はまだまだ上手くならない。勉強する時間をもっと増やせばいいのだけど、他にやることがあったりとかで、結局そんな時間も取れていない。
映画はもっと観たい。名作と言われる作品で観れていないものがたくさんある。そういえばForrest Gump(フォレスト・ガンプ)は、大学の授業で観たけど途中寝てしまったから最後を覚えていないなぁと思ってもう4年は経つ。”Run Forrest! Run!” という台詞だけはしっかりと言えるけど。
皆んな自分が誰なのか理解して生きているのか?
何もかも中途半端。自分が好きになれるものを探そうとすれば探すほど、どこに向いた「好き」もすぐに飽きがきて、人に自信を持って話せるほどの私を代表させる「好き」に育たない。何にも熱狂できない。これなら一生続けられる、というものもない。
だから、自分の個性を見つけようとするほど、「私はなんの個性もない人なんだ」と現実を突きつけられる。普通になんてなりたくないから個性を探すけど、そんなものはどこにも見つからない。私は一体だれなんだろう。
内定を取り消したいかもしれない。しばらく海外に居たい。と話したとき、「一体何になりたいんだお前は(笑)」と茶化されたことがある。
でも、みんな一体自分がどんな人間で、何になりたくて、なんの為に生きているのかなんて理解しながら生きているのだろうか?
日本を出るぞ、と決めて話をしたら「君は一体何になりたいんだw」って言われたことあるけど皆んな自分が何者か理解しながら生きているのかな?🙃
私はわたしとして、自分の人生を生きています。
— ハルノ@ロンドン🇬🇧 (@haruno_sudo) January 18, 2019
よく、「自分探しの旅だ」なんて言って見知らぬ地に一人でいく人がいる。どこに何を探しにいくかは知らないけど、海外を旅しているときっとそういう人に出会うことがあると思う。
でも、海外に出たからってどこかに探していた自分がいるわけではない。いつでも自分は自分だし、どこに行ったって自分は自分で変わることはない。
海外に自分を探しに行こうとしている人は、まず覚悟した方がいい。外を探しても自分は絶対どこにも見つからない。個性を見つけようとしたって、普通を振り払おうとしたって、今まで嫌気が差していた自分であることには変わりはない。
個性は自分の声に従って生活していれば出てくる。
私は現在、イギリスで生活をしている。「海外で生活をする」ということが私の個性だとは思わないけど、私の個性を構成する一つの要素であることは間違いない。つい先ほど述べたのを覆すようで申し訳ないが。
海外に出てきた、ということが私の個性だとは思わない。でも、海外に行ったり自分が思うように好き勝手生きていることで、私の個性がちょっとずつだけど、出てきているようになっている気がする。きっと、個性って自分の好きなものとか趣味で測れるものじゃない。自分が下した全ての選択が自分を作り上げて、それが個性になっている。
「選択をする」って正直疲れる。でも自分が決めるということをないがしろにしていると、もともと持っていたはずの個性が薄れていく。自分の声に従っておらず、人が決めた基準の中で生きているからだ。だから、自分に正直に生きよう。そうすれば、自分がずっと欲しかった個性というものがなんだったのか見えてくるはず。
夜更かしをしてテレビを観ずに、これを書いているのも私の個性だし、感じたことを人にただ話すのではなく、淡々とMacbookに打ち込むという手段を選んだのも、私の個性なのだ。自分の選択に正直に生きていれば、きっと私はもっと個性的な人になれる。
海外に出る、ということに期待をしている人。自分が選択した結果の「海外」なのかをもう一度考えてみてほしい。